子どもの実践知

2011.07.03

子どもの実践知は、ときに大人と子どもの権力関係や大人によって捉えられた子どもに対する認識の誤謬に気づかせてくれる。保育という日常的実践は、「善くなってほしい」という願いをもった大人と、そのような期待を受けながらも、「釈然としないあいまいな世界を子どもなりに捉え直そう」とする子どもとの間の相互作用によって、つくり出されるものである。子ども自身も「善くありたい」という欲求をもっている存在であるから、いつも大人の期待どおりの成長を遂げるとはかぎらない。また、大人が子どもに望む「善さ」は、文化や社会によって異なり、流動的ではっきりしないこともある。子どもたちは、ときに、仲間集団を形成して大人の社会秩序を論評したり、遊びによって挑戦したり、挑発したりすることで、さまざまな大人の期待にこたえようとする。このように、保育は大人と子ども、あるいは複数の子どもたちの相互交渉のうちに予測できない形で立ち現れるものである。他者との関わりによって、どのように子どもたちは生活世界の意味を構築しているのだろうか。そうした問いから出発する先駆的な研究を展開するコルサロらは、依拠する発達理論の特徴からピアジェ理論に対して、ヴィゴツキアンと呼ばれている。これらの研究者たちによって描きだされる子ども像は、ピアジェ理論で自己中心性の例として引き合いに出される子どものイメージを刷新するものばかりである。

[参考]
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http://www.seitoku.jp/kttcsu/