翻訳は日本語で書き下ろすよりむずかしい

2011.08.12

発注者や読者などの立場で翻訳を評価する際にも、基準になるのは日本語としての完成度である。小説の翻訳であれば、小説として完成度の高い日本語になっていなければならない。日本語で書かれた小説としては読めないものなら、まず確実に原文の読みや理解が浅く不正確になっている。一般読者が翻訳文の文章を読む態度としては、わかりにくかったり、文章が下手であったりしたら、すぐ放り出してしまうことが原作者への礼儀だろうと思われます」と三島由紀夫は論じている(『文章読本』中公文庫九四ページ)。翻訳の質の向上に取り組んでいる翻訳者や編集者にとっても、読者がこのような態度をとるのはありがたいことのはずである。翻訳の技術という問題はつきつめていけば、すべてこの大原則に行き着く。日本語をいかに書くかに行き着く。日本語をいかに書くかについては、谷崎潤一郎をはじめ、ここに引用した三島由紀夫や後に引用する丸谷才一らの鈴々たる小説家がいずれも『文章読本』と題した本を書いている。清水幾太郎の『論文の書き方』や本田勝一の『日本語の作文技術』などもある。これらの名著に付け加えられることはなにもないようにも思える。だが、翻訳には、日本語で書き下ろす際とは違った難しさもある。ある意味では、翻訳は日本語で書き下ろすよりむずかしい。